生と死の分岐点
雪屁の踏み抜き事故報告。
貝月山(奥美濃/揖斐高原ski場より)
2004年2月8日(晴れ)
*。鈴木 清(単独)
朝。揖斐高原ski場に到着。(時折、小雪舞う、道中も少し降雪)
9時10分/9時15分
第2ペアーリフト終点。に貝月山に向けて入った。 前日からの 積雪で、「パウダーを独り占めダ〜!」と意気揚揚と登ってゆく。(膝下位の積雪で有ったが軽かった。)
11時15分
標高1000m位のところで、稜線を覗き込んだ。かなりデッカイ雪屁が出来ている。「迫り出してはいないので、
大丈夫だ ろうと、思った。」樹林帯と稜線を縫いながら登行する。
12時15分
1155m地点稜線(北緯35分30度55秒東経136度26分4秒)のデッカイ雪屁の所の辺りを
地図内の青円が現場。(赤い線はGPSで拾ったTrack)
通過(注意して樹林帯沿いを登っていた。つもり)
足元から、「スーと言う感じで、落ちた。「やってしまった。雪屁の踏み抜きダー!」
拡大写真を見たい方はクリックして下さい。
同時にドーンと言う雪の崩壊音も聞こえた。気が付くと、3m位の雪屁の下にいた。
「あ!生きている。どこも、怪我が無いみたい。良かった-!」
落ちた所から雪屁を見上げる 同現場から崩れ落ちた雪の塊(潰されなくて良かった。)
見渡すと、巾15m位に渡って(高さ3m〜4m)、雪屁が崩壊していた。下を見ると、軽トラック台の雪のブロックが2個、人抱 え位の雪の塊がたくさん下に落ちていた。雪の塊に押し潰されなくて良かった。
少し、気を落ち着けて、周りの状況を確認。ここからの脱出を考えた。
1.ピック付きストックにして、落ちた所から、雪壁を登ろうと試みたが、雪が柔らか過ぎてピックが掛からなかった。
2.向かって、右側の崩落の末端に木が有ったので、これを登ろうと、空身にして、荷物は細引きに括って登った。
稜線まで出た。「ヤッター!これで、助かった。」と思った。が、しかし、左足を少し雪面に乗せたら、スコスコで、今にも 抜け落ちそうで亀裂も入った。「ここは、ヤバイ!」崩れそうだと思い、木から降りた。(木も折れそうでヤバかった。)
再び周りを見回して、下に滑りて、小さな尾根を登ろうとは思ったが、雪崩の危険と尾根の出口にも雪屁が見えるので 諦めた。
3.自分が落ちた所は崩れた。雪のブロックで1mほど高くなっていて、雪質も安定している。様だったので、穴を掘って、 脱出しかないと思い戻った。
早速、掘ったが、始めは垂直で掘りにくく、雪も堅かった。が、頑張って少し横に掘り進んだら、程よい堅さで掘り進む事 が出来。更に縦に慎重に掘り進んだら、雪の先に光が見えた。「ヤッター!助かるぞ」と、光に向かって掘り進んだ。 樹林の近くに出ることが出来た。
脱出のために掘った。穴(左は下から、右は上から見た様子)
スッコプ君が有ったので脱出する事が出来ました。感謝!感謝!
「オー!オー!助かったぞ!」喜ぶ。
荷物を取りに穴を潜り下に降りて、戻りろうと登ったら、緊張の余り、足の太ももがツリそうになった。ここは落ち着いてと自分に言い聞かせて、ツリが無くなるのを待って、
13時40分
上の雪面に出た。(完全に脱出成功!)
改めて、崩壊現場を見ると、凄く大きいさにビックリ、今までの、雪屁の踏み抜きとは、自分の所だけ抜けて落ちるかと思 っていたが大違いであった。、白い稜線には要注意!
1220mのピークより雪屁の崩壊を見る。
同箇所のズームアップ
ここから、戻ろうと思ったが、ここまで来て、帰るのも、しゃくと思い、頂上を目指したが
積雪(膝上以上になり、キックターン/シールが効かない?での登行か非常に困難になる。)と
先程の疲れも出て思ったようには登る事が出来ず。
14時24分/14時43分発
結局1220mのピークでリタイア
15時30分
揖斐高原第2ペアーリフト終点に無事戻ってきました。
帰りに温泉に浸かって、生還の喜びをしみじみと味わって、今日の山行の自己反省をして、無事、帰宅出来た。
地元の山神社(富士浅間大権現+立山和光権現+白山妙理権現を祭ってある。)初詣をpassしていた。
ことを思い出した。
翌日、初詣でして、生還の報告と今後の安全登山を祈った。