キルギス アラ・アルチャ・アクサイ氷河

旧ソ連領、中央アジア(中国、タジキスタン、ウズベキスタン)などの国々が隣接する。
首都ビシュケフの南40kmに位置する山域(ハンテングリの有る天山山脈の支脈)である。登山口はアラ・アルチャ渓谷から分かれてアクサイ渓谷、ラツェク・ストップ(3100m)がベースキャンプ。

私たちがお世話になった。キルギスの山ツァー会社のHP(キルギス、中央アジアの情報も。)

    カローナ・山テレ(ski) 紀行
    (海外で GPSを使用みて)

メンバー島津好男(リーダー)(東京スキー山岳会・スキーアルピニズム研究会)
         森野治美       (スキーアルピニズム研究会・NEC山形山岳部)
         鈴木  清       (山岳倶楽部 峠の仲間)/

7月31日(木)
         東京成田空港に集合。3人揃ったので、荷物をカウンターに預ける。3人の合計で少しウエートオーバー取りあえず。OK!職員に「ロシアは厳しいので帰りは気おつけて」といわれた。
 そろそろ搭乗時間、なので両替をと思い、ATMに行ったら、5-6人の列、直に順番が回ってくると思っていた。
私の一つ。前になって、トルコ系?外人が、いやな、予感した。正しく的中した。彼は振り込みをしたいのであった。操作方法が解らず?私にHelp。手取りで教えてあげて、ヤレヤレと思ったら、多額の為に何度もやっていた。(その度に私にHelp)
 時間が。何とか、自分の番が回って来た。急ぎ、銀行へ両替、搭乗まで30分を切っていた。ヤバイ!焦って、上に行くと、ここのターミナルからレールバスに乗らなければならなかった。
 発進ロービーに着いてC86番ゲート走った。「ガ-ン!」搭乗手続きは終わっていた。焦った。締まっている。ゲートを潜り奥へ入ったが、飛行機の姿は無かった。
 これで、万事休す。諦め戻る。良く見ると、c85番ゲートで有った。
 c86番ゲートは手前で受付業務を行っていて、ギリギリのセーフで飛行機に乗ることが出来た。

10年程前に乗った。アエロフロートを思うと随分、機内サービスは良くなっていた。(標準的)、まずまずな、空を楽しみ、夕方にモスクワ・シェレメチェ第2?空港に無事到着。
 パスポートのチックを受けて、キルギス・ビシュケフへの、乗り継ぎの手続きをする為に、手続きカウンターを求めてターミナルを、一回りしが、見当たらなった。戻って、良く探したら、事務所が有った。早速、搭乗券に替えてもらおうとしたら、後からと言われて、ターミナルをうろうろ、出発2時間前になって、搭乗券を手にする事が出来た。
 キルギス・ビシュケフは旧ソ連の国内線になるので、シェレメチェ第2?空港からバスに乗り、空港内をグルリト15分程乗って、シェレメチェ第1?空港へ定刻より少し遅れて21時40分飛び立った。

8月1日(金)
        深夜の3時にキルギス・ビシュケフの空港に到着。心配された。荷物は全員の分が着ていた。
空港内のロビーに出ると、DostuckTrekkingの人が出迎えてくれていて、タクシーに乗り込み、深夜のビシュケフの街へ入り、Hotel Eldoradoに到着。割り与えられた部屋で仮眠を取った。
 3人揃って、ホテルのレストランで昼食を取る。ビールとコーラと一品料理とパンを各自が注文して食べる。会計は一人当たり、2ドル弱であった。
 昼食後、「DostuckTrekking」の通訳の女性がホテルに迎えに来て、「DostuckTrekking」の事務所へ出向いた。タクシーでビシュケフの市街地の住宅街の中にあり一般の民家と同じで、有った。
 ここで、山の説明と山の地図とガイド料の残りの代金(ドル)を払って、明日の朝、ホテルに迎えにくることを約束して、事務所を出た。
 買い物為にタクシーで街へ出た。両替商へ100ドルをキルギスの通貨に替える。5200サム程になり財布の中はいっぱいになり、大金持ちなった気分で有った。
 島津さんがキルギスの新たなる地図を入手したいというので、地図のお店に寄って(この時、GPSを起動させたら、衛星が飛んでいなかったの??上手く働かなかった。これで、海外でも使えるのか心配になった。)
 百貨店へ行動食の買出しに。街の様子は小都市と言う感じで、整然として、人も都会的で危険な感じは無かった。ホテルへ戻った。
 各部屋に戻り、明日からの登山の為にパッキングをして、又、この時に部屋でGPSを起動させていたら、衛星を拾うようになり正しく作動しているようであった。
、夕食をホテルのレストランで摂って、解散となった。寝るにはまだ早いので、チョと冒険で、一人GPSを持って、街へ出た。

  キルギスの夜の街角
 ホテルを出ると、街灯が無いので少し暗くて、大きな通りに出て、車や街灯で明るくかった。
 人も歩いていた。写真を撮っていても、平気であった。(通りを一歩入ると、暗い)
 明日は早いので、ホテルに戻ることにした。 早速、GPSをGOTOに起動。往路とは違う道を歩いても、正しく、ホテルの戻っている。事を確認。ホテルへ無事戻った。

8月2日(土)晴れのち小雨のち曇り
       朝食の為に、ホテルのレストラン降りた。朝食はバイキング方式と思っていたら、どうも、それは無いみたいだった。奥から、ボーイを呼んで、メニューから、注文した。(朝食代は宿泊費込み)食事を終えて、部屋に戻り、全部の荷物を1階のロビーに降ろして、お迎えを待った。
  HOTEL ELDORADO

 外に出ると、天気は良い、遠く白い峰の山を望むことが出来た。
9時30分お迎えのマイクロバスが来た。通訳兼案内(マーシャ女性)、コック(ジェニア)、ポーター4人と私たちの3人の総勢9人のキャラバンでホテルを後にした。
 車はビシュケフの街を抜けて、郊外の高原的なところを、小1時間(40km)走って、アラ・アルチャ国立公園のゲートへ通訳さんが入場の手続きをして、ゲートを潜った。予定では、アラ・アルチャ登山口まで車で入れる。予定であったが、大雨で、道路が流されて、途中下車して、歩くこととなった。
 私たちはポーターをがほとんどの、荷物を担いでくれるので、助かる。他の登山者は老若男女問わず、大きなザックを担いで大変そうであった。
 20分ほど歩いて、その先で、ガイド会社の車に乗り換えて、登山口まで進むことが出来て。殿様気分で他の登山者には、申し訳なく感じる。
 12時30分。登山口周辺は赤い屋根の小さなホテルも有り、感じ良く、公園的で合った。荷物もポーターも揃ったところで、アクサイ氷河・ラツェク・ストップ(3300m)に向けて、いざ、出発。
  アクサイ渓谷への登山口

 樹林帯を抜けると、高原的な風景が広がっていた。竜胆、トラの尾、ハクサンフウロなどの日本でお馴染みの高原植物が咲いていて、気持ちの良い、歩きとなった。ハイキングを楽しむだけでも良さそう(何よりも、重たいザックを担いでないのでのんびりと歩く事が出来る。ポーターを雇わなかったら、一人当たり、25kg以上を担ぐことになったと思われる。)

 気持ちの良い山道

 通訳さんが、目指す。「カローナ」を教えてくれた。氷河を抱いた王冠型の山でインターネットで見たよりも、ドッ尻した感じに見えた。
 ガレた。(頭上の落石に注意!)大きな沢を渡り、お花畑の道を更に登って、大滝の見える。沢に来て(透明の流れで日本の沢を思い出す)
 ここで、遅い(15時40分)ランチタイム、コックが沢から汲んだ水でお湯を沸かしてコーヒー、紅茶、ナンのようなパン、ジャム、ハム、チーズを並べてくれて、豪勢なランチの時間となった。(1時間くらい掛けて)大変、申し訳ないような気がする。
 ここから先は、胸突き八丁。急登の登りとなり、周辺の景色も変わって来て、岩壁が迫って来た。(足場も悪くなって来る。)谷をドンドン登る。(サックが軽いので助かる。)
 ラツェク・ストップの小屋へ登って来た。18時。標高は3300m、小屋前のキャンプ場には、数張りのテントが有り、(きれいで、感じの良さそうなキャンプ場に見えた。)
 ここに、テントを張るかと思っていたら、私たちは更に小川を詰めて、奥の第二キャンプ場?に落ち着く事に成った。
こちらの方が、広々としていた。(この小川で、下の人達も飲料水を採っているので、第二キャンプ場からの汚水も下のキャンプ場に流れて、汚水混じりの水を飲料水として使っているので、もし、この、キャンプ場に訪れる。ことが有ったなら、必ず、第二キャンプ場をお奨めします。)
 普通ならば、クタクタで、テントを張るのも、面倒になってしまう所であるが、そこは、大名行列。お殿様が到着。直にポーターがテントを張ってくれて、高みの見物。
 テントは予定では、4-5人テントを一張りで有ったが、2-3人用を二張り用意してくれて、私と島津さん、森野さんと装備の倉庫として使えることなり、結果として快適な5日間を過ごすことが出来た。
 自分達のテントに入って、ザックの整理をして、食事の時間まで、テントの中でゴロゴロ。
通訳さんが、夕食が出来たと言うので、コックのテント前の石のテールでお食事と極楽至極出合った。

 石のテーブルにチェクのクロスがおしゃれ
       8/2の夕食(麦+ドライフルーツ、チーズ、パン、コーヒー、紅茶、ビスケット、キャンディー)

 食事をしながら、島津さんと通訳さんが明日からの、行動、食事時間などのを詰めてくれた。
明日は、カローナ氷河の偵察なので朝ゆっくり起きることにした。
歯を磨いて、トイレ(テント場上のモレンの丘へ少し面倒、大便は下の小屋の方なので20分は掛かる。)に行って寝る。

8月3日(日)晴れのち夕方雪降る
 高山のためで、眠りは浅いように感じた。朝食を済まして、
 8時40分。テント場を出発。GPSを起動する。
通訳さんも同行し、テント場の先を詰めた。モレーンのガラ尾根を登っていった。
 直下は、アクサイ氷河のアイスホールで落石や土砂で汚れていている。
   道筋が解りづらいく、足場の悪いところが出てきて、(2級?)森野さんはちょと、苦戦しているようであった。

  モレンのガラ尾根
ガラ尾根の終了点(3782m)富士山より少し高い、通訳さんの案内でアクサイ氷河をトラバースする。クレパスも有り、覗き込むと深そうであった。
 
 アクサイ氷河


  
カローナの次に狙っていた山。Teke-Ter Peak(4479m)右は拡大図(傾斜40度?)


 カローナ小屋(HOTELと書いてあるが、雨漏りのするボロイ、非難小屋) ここまで、GPSのポイントを数箇所採って来た。
小屋より少し先に進んで、カローナ氷河の末端(3911m)へ、クレパスも無く、きれいな広い雪面に見えて、日本の雪山とは変わらない。印象であった。

 カローナ小屋近くから見た。カローナ氷河
                                  (赤い線が5日の滑降ライン)
 アタックが、楽しみであった。偵察を終えて、テント場に戻ることにした。
 早速、GPSをGOTOに起動、途中で拾った。ポイント、クレバスのなども、正しく拾う、キャンプ場(15時)まで誘導をしてくれて、始めのポイント、自分のテント近くになると、GPS「ARRIVNG DESTINATION」(まもなく到着)のメッセージが出た。しかし、印した。テントの前に来ると、違った。距離を示す?
 しかし、これ位なら、十分であると考えられるので、OKとしょう。(お利巧さんな、器械である。ビーコンを使ったときのような、感動を覚えた。)
 体調を整える為に明日は休養日として、明後日にカローナにアタックする。事になった。
夕方から雪が降ってきて、テントで夕食を街で買った。コーヒービール(甘いが味は悪くは無い)で入山祝いをした。

8月4日(月)夜雪、曇り、晴れ
 朝起きると、テント場は、昨夜からの雪で3−5cmの積雪で白銀の世界に変わっていた。
今日が、休養日になっていて、本当に良かった。(高山の影響でまだ、一部頭が痛い)
 キルギス?の若者が雪だるまを作りをしていた。形は日本と同じであるが、玉が三段に成っていた。
彼のグループの人々が寄ってきて、ヘルメット、サングラス、ピッケルと装飾を施してクライマー雪だるまが出来た。

 クライマー型の雪だるま


 雪だるまを囲んで写真をとり始めた。その中の若者から、あなたも、一緒に写真を撮らないかと私に声を掛けてくれたので、仲間に混ぜてもらい、集合写真を撮ってもらった。
昼近くになり、晴れて、雪もすっかりと消えた。ので、テント場のあたりを散歩。
夕焼けが見えて、明日は天気が良さそうな気がする。明日はアタック日、全員早くに寝る。

8月5日(火)晴れ、遅くに雪   (カローナ氷河へのアタック)
              早朝3時に朝食。満天の星空で、アタック日には最高の贈り物。今日は通訳さんとコックさんも私たちの一部の荷物を担いで、カローナ小屋まで一緒に登ってくれる事になった。

 
早朝のモレンの岩尾根を登る。

 モレンの岩尾根をヘッドライトを照らしながら登る。足取りは軽かった。登り切った。所で周りは明るくなった。
ここから、カローナ小屋までのアクサイ氷河のトラバースはここ2日間の雪で、クレパスが埋もれて隠れているので、用心を取って、三人ロープを結んで行った。
 カローナ小屋に着いて、通訳さんとコックさんから荷物を受け取り、身支度をする。

 

                                                            快晴のカローナ氷河をスタート

 
              シールを貼る(左。島津さん、右。私)

島津さんが、カローナ氷河の末端に入って、雪面を掘って積雪の状況を見た。新雪の15cmの積雪(パウダーを滑ることができると喜ぶ。)で雪崩の注意が必要。 
 クレパスも無さそうで、又、先行パーティーもロープなして登っているみたいなので、ロープを結ばず、スキーを担ぎ、引っ張りで登ることとした。
9時40分
 
4100m地点(10時20分)に来て傾斜も緩くなって来たので、シール登行にする。快適にシールも効き、島津さんと私は順調に高度を稼いだ。(周りは、実にアルペン的で、この中を、滑りを想像するだけでワクワクする。)
 森野さんが遅れが出てきた。島津さんが森野さんのいる。4300m付近まで降りて、無理のないように、登ってくるようにアドバイスして、再び、登って来た。

  
     ガンガン登る。島津さん
 島津さんはガンガンとトレースの無い斜面を電撃状に登っていった。全然、追いつく事が出来なかった。
4550m(13時40分)のところで、追いつく、しかし、ここに来て、急に気力が無くなった。ここまで、天候も良く、体調も悪くなかったのに、自分でも不思議であった。(滑降の体力を残して置こうと思ったのか?)
 島津さんは「時間は十分に有る」と言い。カローナのコルへ向かっていた。



4500m付近を登る。(アルペン的でカッコいい)
 
4500mの岩の場。大きな岩峰の奥がコル。   4550mよりATTACKする。島津さん
20分ほど休んでいたが、気力が沸いてこなかった。近くの岩陰と氷河の窪みの所で、島津さんを待つことにした。
 下って来た。登山者からチーズとサラミを貰う。少し元気が出てきた。彼らは下リ去っていった。ツェルトを被りウトウとしていた。(暖かった。)
15時30分になり、島津さんが滑り降りる姿が見えた。急ぎ、ツェルトから出て、コール。私もスキーを履き、島津さんの後を追い、森野さんの居る所まで滑った。(傾斜は30度程有ったが、雪が重めだったので適度にスピードのコントロールが効いて怖く無かった。)
 森野さんも元気であった。三人無事に揃ったので、ここから、自由滑降となった。

 
コルから戻って来た。島津さん            
 4300mより、滑降!森野さん、島津さん 



ここから下は、20-25度位の快適な処女の雪面が、眼下に広がっていた。ヨシャー!
華麗なテレマークターンを決めてやるぜ!と、スキーを滑らせた。(クレパスの事は忘れていた。)
 パウダーでなかったが、誰も滑っていない雪面を、大回り、小回りと自由自在にテレマークターンを決める。

    
    
アクサイ氷河を眼下に見る。             カローナ氷河の最終の斜面を滑る。森野さん

 あっという間に、小屋が見える。所まで滑って来た。ここは、最後になるので、一丁カッコ良く、決めて野郎と、気合を入れて小回りで滑り込んだ。斜面の真ん中有りで、隠れていた石の上を滑って、転びそうに成ったが、カッコ悪いところを見せてはいけないと、踏ん張って、最後までテレマークで滑った。
 振り返って、自分のシュプールにウットリ、カメラに収めた。
16時40分
 島津さん、森野さんの待った。中々、姿が見えなかったが、島津さんが慎重に滑り降りて着た。直に小屋に走り、通訳さんらに下山の連絡に行った。
 森野さんも少し遅れて姿を見ることが出来て、一安心、一緒にカローナ小屋へ戻って、暖かい、紅茶を頂いた。
(ここにきて、自分自身、こんなに滑れるなら、もう少し頑張れなかったのかと、悔やむ)
 キャンプ場までの下山の再、通訳さんが、私の一部の荷物を持ってあげようと言ってくれた。しかし、私は大丈夫、「NO THANK YOU!」日本男児の意地を見せたが、これが大失敗に成ってしまった。
 自分の思っていたよりも、体は疲れていて、ガレ岩尾根を下るときは、ストックを杖代りにして、ヨレヨレで下っていた。やがて、雪も降り始めて来て、時折、ルートを外して、キャンプ場に
21時ごろ戻り、ザックも外に置て、テントに倒れこんだ。 出された。食事もスープだけ啜って、シュラフに潜り込んだ。披露困憊であった。
 
8月6日(水)晴れ
          ここのキャンプ場に来て、一番気持ち良く眠れた気がして、気持ちの良い朝を迎える事ができた。 朝食(9時)も美味しかった。今日は完全な休養日なので、嬉しい。
 昨日、外に置いた。ザックを整理して、シュラフを干して、破れた手袋を直してと、ゆっくりとした。時間を過ごす。
 昼食は食パンにペーストに小魚のオイルサーティー(シラネニンジンの様なハーブがさわやかさを添えていた。)
キュウリとトマトのサラダもいっぱい出た。

 豪華なランチ

 昨日の山行を祝って、コーヒービールで乾杯ー!!「ウメ-」
昼食後、雪が降って来た。急ぎ、テントに非難する。島津さんは昨日、頑張ったので、37,5度の熱があるとかで、調子悪く、殆ど寝ていた。
 大人しく、昨日までの山行をまとめ書きをして、過ごした。
8月7日(木)夜から雪が降る、曇りのち晴れのち雪のち晴れ

    夜に掛けて雪が降り、3-5cmの積雪であった。昨日、森野さんと二人で、キャンプ場の上の山に行く予定であったが、中止とする。
 朝食後、ゴロゴロ、ウロウロとしていた。天気も回復してきたので、キャンプ場の上の山に行くことにする。森野さんを誘ったが、乗る気ではなかったので、一人で山に入る事にした。
 GPSを起動させて、テントを出た。丘を登ると、小さな峠になっていて、その先は、モレンの広場のようで、周りは尖った岩壁に囲まれた。チョト不思議な感じ、ルートが解り辛そうな地形が広がっていた。
 所々にある。ケルンを頼りに、南に向かって歩いた。(目立ちそうな所でポイントを取って行った。) 途中に小さな岩峰が見えたので、チョト登って見た。10分くらいで、その先端に到着。反対側は切れ落ちて、危険!眺めはそれほどでもなかった。慎重に往路を戻る。
 再び、ケルンを追いながら、進んで行った。急にガスが湧いてきて、霙も降ってきたので、戻る事にした。
先程の岩峰も見えなくなった。早速、GPSを前のポイントにGOTOを起動させた。始めは違う方向を示していたが、自分が動き出すと、正しいポイントへ印すようになり、採って来た。ポイントを次々に拾い始めた。
 ガスも晴れてきたが、キャンプ場に下る。峠に迷うことなく、戻る事が出来た。(GPSはお利口さんであった。
5−10mの誤差は出た?途中で衛星の電波が一部の所で途切れていた。)
 キャンプ場に戻ると、テントの前に森野さんが心配して、待っていた。「ご心配をお掛けしました。」
テントに入ると、島津さんがランチが終わったときで有った。残りが十分あり、トマトandキュウリのサラダをお腹いっぱい食べる事が出来て、幸せ。
 先程、降った雪で、一昨日と同じく、若者がクライマー雪だるまを作って、一昨日と同じく一緒に混ぜてもらい写真とビデオをも撮ってもらうい、お酒(ウォーカー)を勧められたがきつそうなので断った。本当のFriendlyなキャンプ場でお気に入り。

 
8月7日のクライマー雪だるま。                  峠を越えた。景色

 夕食までに時間が有ったので、キャンプ場の大岩でボルダ-を一人で楽しむ。
明日は下山なので、コックさんがマウンテンケーキを作ってくれた。(生のケーキの生地に砂糖と落花生を捏ねた。シンプルなものであったが、嬉しかった。味は日本人は甘すぎた?)
 左上がマウンテンケーキ、下がヌードル塩味で活ける。

8月8日(金)快晴
          
  早朝から、快晴の天気。下山日ダ。(島津さんも回復し調子が出て来た。)ヨカッタ。
 食事を済まして、帰りのパッキングをする。残った。行動食やビールを若者達に分けて上げた。(ピラニアが喰いついた様に一瞬で無くなった。ビックリ!!)
 彼らの見送りを受けて、ラツェク・ストップのキャンプ場をあとにした。
 
  朝のアクサイ渓谷                      カローナのモルゲンロード

  
   見送りを受けて、ラツェク・ストップを去る。      三人揃って、記念撮影(奥にカローナ)
  
   

   
                  日本でも見ることが出来る。高山植物が咲いていた。

高山植物を眺め、途中、往路と同じ所でランチを摂って、のんびりしながら、アラ・アルチャ登山口に戻った。
凄い、トラックバスが待機していた。入山日に崩壊した。個所は仮の道が出来て、自動車が通行できるようになった。
 
  ロシア製六輪駆動のトラックバス      崩壊付近で陽気にキルギスの男女が踊っていて、ウォカーと羊料理をご馳走してくれた。

 道路の崩壊地点を六輪駆動車は快調(凄い揺れで何かに掴まってないと座って居れない、舗装道路でも胃が下がる位揺れる)に走って、ビシュケフのホテルへ無事到着した。
 明日は午前2時にホテルに迎えに来るので、お土産を買いに街に出る事も無く、シャワー、帰国のパッキングをして、ホテルのレストランで食事を済まし、慌しく部屋に戻って眠った。
8月9日(土)
   眠たい目を擦りながら、空港に向かった。出国時から心配されていた。登山・スキー道具等の重量の超過は全員なかった。ヨカッタ!
 搭乗の手続き等をしていて、今回の山行に終日。お世話になった。通訳さんに十分なお礼を言わずに飛行機に乗ってしまってのが心残りであった。
 モスクワに向かう、飛行機は座席が狭い上に、超満員。(まるで、昔の夜行登山列車のような感じ)とっても疲れた。
モスクワの空港へは無事に着いたものの、シェレメチェ空港へ乗り継ぎに説明も無く3時間以上も待たされた。
 その後は、問題なく、成田空港へと帰国する事が出来て、荷物もロスする事無く届いていた。
                                               バンザイ!        

・高山病の影響で眠りが浅く、疲れが取れなかった。(BC3300mよりアタックは日帰りでは少し厳しい?と言ってカ ローナ小屋付近3900mにACに上げるのも大変でより、高山病の影響を受けやすい。)
・登りでは日本では体力十分と思っていたが、気力的に負けた。少し厳しく頑張るべきだった。
・飲料水にクエン酸入れたが濃すぎて、喉が痛くなり、飲めない物に成ってしまった。(普通の粉末のスポーツドリンク にすれば良かった)

・滑降は全然、息が切れるなど、高山の影響が出ると思ったが気持ち良く滑る事が出来て、大変満足

・スキー(k2 Mini Enemy136cm)調子良く、少しモナカ状の雪でも突き抜けて滑る事が出来た。(岩の上を滑った。 傷は思っていたより深く(ソール部分を抉って、上の中身が見えるほどまでいっていた。ウーゥー)
・シールのポモカはクレームで販売メーカーに糊の張替えをしてもらった。ので剥がれる事も無かった。
・スキー靴(T2)問題なく。(モレンのガラ岩尾根の歩きで傷だらけに成った。少々疲れる)

・登攀道具等個人(ハーネス、カラビナ10、シュリンゲ10、ロープ8mmx20m、アイススクリュウ、アイゼン、  ATC、  スノーバー、滑車、スコップ、ヘルメット、ピッケル、)は重たかった。
GPSを海外で使用できたのでよかった。
小さなカメラケースに肩ベルトの胸辺りに着けていたが、電波を拾うには問題ないようであった。GPS本で載っていた。もっと上の肩に着けてみたが、操作がやり難かった。
・現地の登山地図には緯度が入ってなく、自分で分の線を入れたがどうも、合わないかった?
・ポイントを入力は数字で行ったが、覚えに数字の後にアルファベットを入力すると、次のポイントを入力する為に開くと同じ数字が出てきて困った。手っ取り早く入力をする方法は?
・雪降る中で使用していたら、画面に水滴?小さな曇りが出た。今は消えているが、沢登りでは防水性が心配だ。
・バッテリーは気温(概ね日本の春季位)が思っていたより下がらなかったので問題なかった。
・超初歩的な使用法のミスをしていた。登山中に裏ブタが開いて、GPSを落として締まった。フタが開かないように、テープやゴムで止めて対策をしていた。しかし、よくよく見ると、ストラップを正く装着する穴に通さずに裏ブタの金具に装着していたのが原因で合った。
・ポーター(スキー道具が重たく、運びにくいので雇ったので随分、助かった。)やコック(料理は生野菜を毎日のよう に出て、味付けも申し分なく大変満足する事が出来た。)を雇うのは贅沢(一人60$往復)と思ったが、短期間で 成功率を上げるには、それなりの物が有ったと思った。

・英語が喋れるように


 今回のキルギス・カローナ山テレ(ski)山行に当たりましては、企画、募集、訓練、ガイド会社との連  絡等、島津さんに全てお世話になり、海外での山テレ(ski)の勉強に成りました。
 大変感謝。 誠に有難う御座いました。
(又、宜しくお願いします。)

 森野さんには、ご心配をお掛けいたしまして済みませんでした。いつか何処かで、お会い出来ることを楽しみにします。有難う御座いました。
                                                山ごろ。鈴木

     

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