ヨーロッパオートルートフランスルート

   悪天候で途中下山(アローラski場)ガックリ

   2002年4月27日〜5月6日

*メンバー。smさん、amさん,ykさん、tyさん 、山ごろ

 正月明けsmさんから、ゴールデンウィークにヨーロッパオートルートの話が有った。

 山スキーを始めて山岳雑誌等でヨーロッパオールートが照会されていたが、私には夢の世界と思っていたので思いもよらない話であった。

即「OK!」の返事を出した。

 幸い、職場での理解を得ることが出来て、申し込むこととなった。

  smさんからオートルートの資料を送ってもらい読むと、中々厳しそうに思えた。(毎日8〜11時間行動しなければ成らないようであった。)
諸事情の為にスキー場には通えなかったので、体力作りにと毎日5`のランニングを始めた。(出国の1週間前になり、オーバートレーニングで左膝が痛くなりテーピングをして不安を抱えての出発であった。)

4月27日

名古屋空港からはsmさんと私が先にバンコクへ関西空港からの秋田さんたちは、夜に到着となるので、昼に到着した。私達はその間に数時間の市内観光を楽しんで、夜の空港で秋田さんたちと無事合流して、いよいよ、ヨーロッパに向けて旅立った。

4月28日

 チューリッヒから乗り継いでジュネーブ無事到着した。

空港に迎えに来ている。今回お世話になる。ガイドのベルトランさんの車で直ぐにシャモニーに向かう筈であった。

 ところが、私のザックがターンテーブルから出てこない、回り終わってもなかった。

「えー!どうして!」焦る。何度か海外旅行しているが、始めてであった。

 結局出てこないので、smさんにお願いして、空港関係者に私の荷物が届かないので、探してもらうように交渉してもらった。

 その結果チューリッヒの空港に積み残されているようであった。

 次の便で運ばれてくることになり、取り合えず。私達はシャモニーへ向かうことにした。

シャモニーに着いて、アルパインツァーの現地事務局をしている。白野さんの店に寄って,事の事情を話すと、もし、ザックが夕方までにホテルに届かないことにならば、白野さんがヤッケ等一式を貸してくれることとなったので、少し気が楽になった。(こんな時は、旅行会社を通してあって良かったと思った。)

 今日,泊まるホテルが決まっていなかったので、白野さんの紹介による。駅前のチョツと高そうなホテル決まった。

 ここで、明日からのオートルートのミーティーングを行い。

明日の朝8時にこのホテルに迎えに来ることなった。

 ガイドのベルトランさんが再度、空港に私のザックのことを問い合わせてくれた。そうしたら、午後七時にタクシーでホテルに届けてくれることを確認してくれた。ヤレヤレ。

行動食の買出しを兼ねて、シャモニーの街を歩いた。夏の観光シーズンと比べると人も疎らであった。

 買出しからホテルに戻り、明日からのオートルートに備えて,荷物の整理をして、ビールを飲んで、早々ベットに潜った。

4月29日(晴れ時々ガス)
 朝食をたっぷりと食べて、出発の準備(ツァーで使う意外の荷物は白野さんが(一人5000円はチョット高いと思うが)ツェルマットまで運んでくれることと成った。)をしてロビーへと降りたら、すでにベルトランさんが来ていたので、急ぎスキー等を車に載せてホテルを後にした。

 15分ほどでグランモンテスキー場ロープウェー駅に到着、早速乗りこむ、一般スキーヤーに混じって、私達と同じ山に向かう人達もいた。

次のゴンドラに乗り継ぐのに30分以上待たされた。(2日目も1時間以上も待たされる事になるとは思わなかった。)

グランモンテスキー場

 二本目のゴンドラの駅を出ると寒むかった。ガイドは既にスキーを履いていていた。

私も急ぎ、スキーを履いて、準備OK!いよいよ、オートルートのスタートだ。不安と期待の中滑り出した。急な斜面を長い斜滑降して、(途中シールを着けて)

 アルジャンチエール氷河に出た。オー!流石!ヨーロッパアルプスだ。デカく広がっていた。(ここは、気持ちよく滑ることが出来た。)

真上に、シャルドールのコル。大きいが近くに見えたので、これは直ぐに登ること出来ると思った。

 シールを貼って登り始めて、1時間ほどでコルに出ることが出来たと思った。(大したことはないなと思った。)しかし、ヨーロッパアルプスはスケールの大きさが違っていた。ここから,更に長いシール登行が待っていた。行けども行けども斜面が続いていた。

私達のパーティーは長旅の疲れも有り、後続のパーティーに次々と抜かされて、みんなヨレヨレでシャドールのコルの降り口にヤット着いた。

 シャドールのコル

 ガイドは、直ぐにザイルを出して下降の準備をしていた。(ガイド付き登山は楽チン)私達もスキーを外して下降の準備をした。

 下を覗きこむと、2ピチほどの長さの傾斜が下に見えていた。思っていたよりも、怖くなさそうであった。

 最初に、秋田さんが肩絡みで降りていった。続いて私が降りた。ザイルいっぱいで、その下は、40度くらいの傾斜を確保なしで、氷河まで下った。

 全員、降りてきた所で直ぐにスキーを履いて、サレイナの窓のまで長い斜滑降をした。

 サレイナの窓の下に来て、上を見上げると上部は40度くらいは有りそうであった。早速シールを貼って登り始めた。ガイドは、スキーアイゼンも着ける事もなく窓まで登り切って行ってしまった。

続く、秋田さんは最上部でスキーを、ガイドにもってもらい、窓に抜け出ていった。

 これを見て私は「日本男児!!」最後までシールで頑張って抜け様と登っていった。しかしスキーアイゼンを付けていても怖いターンが続く、ミスをすれば下まで止まらないなと、緊張しながら登って行った。

 下のsmさん達はスキーをザックに付けて登ってきている様であった。

ガイドが私のところまで、降りて来て、スキーを外して、つぼ足で登れと言っているみたいだった。

私は軟弱にも直ぐにその指示にした。スキーをガイドに渡して、つぼ足で窓ヘ抜け出た。(ここは1時間位の登りで済んだのでラッキーと思った。)

 サレイナ窓の上に立った。ここは、剣岳三の窓のような風景が広がって、アルペン的でカッコイイ、しかし標高は3261mあり、冷たい風が通り抜けるために大変寒く、全員が上がって来るのを待っていたら体がしっかりと冷え切ってしまった。

ここから先はトリエンプラトー(広い雪原)の滑降が楽しめるはずで有ったが、しかし、ガスに囲まれてしまい、位置を確認しながらだったので楽しめなかった。

しかし、トリエン小屋が小さく見えて来るところまで滑って来たら、ガスが晴れて、広い雪原が目の前に広がって見えた。

みんな、ここぞとばかりに思い思いにシュプールを描いて滑ることが出来た。やがて急な斜面(30度)に出た。、クレバスが開いていた。慎重に下ってクレパス帯を抜け出した。

斜滑降して、エカンディのコル(2796m)の下まで来た。ここの,登りは始めからスキーを担いで登りであった。30分ほどでコルに立つこと出来た。

休むことなく、スキーを履いて滑りり出した。

この先シャンペの村までは、もう,登りはない。大滑降が出来るはずであったが、しかし、いざ滑ったら、重い悪質な雪と一日の疲れも出てきて思うようにスキーを回す事が出来なかった。ガイドはドンドン先を行ってしまう(秋田さんは調子良く、しっかりとガイドの後についていた。)長い〜斜滑降を繰り返して、先に小さく小屋が見てきた。もう直ぐと、自分に檄を飛ばして滑った。

短い森の中へ雪を拾いながら、滑っていったが、1500m付近で遂に雪は消えて、本日の滑降は終了!(ちょとホットした。)

スキーを担いでシャンペの小屋まで歩いた。(雪の多いときなら小屋まで、滑ってくることが出来そうであった。)

「やったー!」オートルートの第一日目が終わった。嬉しかった。

早速、tyさんがザックの中からビールを出して、みんなで回し飲みして祝った。(泊まった小屋はシャワーも利用できて、食事も美味しく(しっかりと飲んで食べた)快適であった。)

長く、疲れた一日であった。この先、四日間も続くかと思うと不安を抱えながら床についた。

4月30日(晴れ)

 朝、7時50分にジャンボタクシーでベルビエのゴンドラへ向かう(朝が遅いので嬉しい)

 ベルビエのゴンドラ駅前に着いたが、ゴンドラが動くのは2時間後とのことで、暇を持て余して困った。

 上の駅でシールを貼ってスタート時間はもうすでに11時なっていた。

しかも、閉鎖されたスキー場の中を3時間も歩いたので、熱くつまらなかった。

 スキー場の天辺がショウのコルとなっていた。ここから先は一変して、アルペン的景色が広がっていた。(遠くにはモンブランをも見ることが出来た。)

 smさんがバテ気味であった。

 ショーのコル

 ここからは、シールを剥がして一気に滑降かと喜んだが、しかし、10分くらいで再びシールを貼ってモマーンのコルの登りであった。また、長い登りかと思ったら意外に短い時間でモマンのコルへ立った。(広い平原状)

ここから先は広い雪原が続いていていた。ここは、雪質,斜面共に良く、快適な滑りが出来た。セルベのコルを越えて、立山の室堂のようなところへ出た。奥にプラフリューリ小屋が見えた。

小屋まで小屋まで楽しく良い滑ることが出来た。(後から思うとここが一番良かったと思われた。)

(プラフリューリ小屋は新築で清潔、他だし,トイレは外にあるので残雪で足を滑らせると下は崖になっているのでチョツと怖い。ミネラルウォーターは高い。小屋側が熱い紅茶を出してくれるので、空容器入れて利用出来る事を翌朝知った。(無料)食事量,味、良い。クレジットカードOK!)

5月1日(晴れのち遅くに雪)

プラリュ小屋を7時に出発。天気は良好のようであった。

 雪面は固かった。小屋から出て5分くらいのシールの登りでtyさんがスリップして滑落!

スタート地点まで落ちてしまった。(特に怪我はなかった。)

30分ほどの登りで小さなコルに立った。ここからは氷結したディス湖を見ることが出来た。

 先行パーティーはすでに滑り降りていた。硬いアイスバーンの様で、カリカリと音を立て滑っていた。スリップすれば下まで滑落して止まらない、緊張した滑りに成りそうであった。

 私達の滑る番が来た。見た目通りにアイスバーンになっていて、カリカリと音を立てながら、斜滑降をしていった。雪面は荒れてなくて良かった。

 長い斜滑降をしながら小さく回りこんだ。ところに来た所で、私はオーバースピードになっていて、前を滑っていた。tyさんに衝突してしまい、二人とも絡まりながら滑落して行ってしまった。

 これはいけない、何とか止めなければと思ってもドンドン滑っていった。幸い、10mほどで止まって、tyさんも5mくらい下で止まっていた。

tyさんにコールした。「大丈夫!」とコールが返って来た。

 滑落中は湖まで滑り落ちてしまうのでは、tyさんにもしものことがあったらとの思いが頭の中を過った。

   朝のディス湖

 幸いtyさんは怪我もなく上がって来た。良かった。

「すみません!tyさん。」

遅れた二人を待っていたように、みんなは休憩をしていた。

ここから先は、傾斜は緩くなって来ていて雪も緩んでいた。

さらに、滑っていったら、雪が切れていて、スキーを外す個所も出てきた。

その後再びスキーを履いてディス湖の末端まで来た。

ここからは,シールを貼って、登って行った。

やがて、小高い山の上に小さくディス小屋が見えて来た。

小屋への最後の登りに差し掛かって来たころになって、風が強くなり、雪が降ってきた。

小屋には昼過ぎに着く事が出来た。ザックを整理して、サロンで寛ぐ、外を眺めと、ホワイトアウト状態になっていた。その中を次々に登山者が小屋を目指して登ってきていた。大変そうに見えた。

早くに小屋に着いた私達はラッキーであった。この日のディス小屋は沢山の登山者で賑わった。夕方になり明日の天気予報が張り出された。「明日は天気が良くない、その後も余り期待できない」とガイドが解説してくれた。

天気次第では、アローラの町へ降るかもしれないと言われて、「ガックリ。」

(ディス小屋の夕食は美味しかった。トイレは室内で快適。無料の紅茶のサービスも有った。クレ ジットカードもOK。)

5月2日(雪)

ディス小屋から少し滑って、セブローのパスへ来た。
セブローのパスの鉄梯子

ここはスキーをザックに着けて,2段20mの鉄梯子を登るところ。

順番待ちで小一時間ほど待たされた。

鉄梯子を登り切ったら、強い風で飛ばされそうであった。体を低くして全員上がって来るのを待った。

全員揃った。ところで、スキーを履いてアローラのスキー場を少し重たい雪であったが快適に滑る。今日は、アロラーの町に下りてしまうのかと思っていた。

が、しかし、途中から、シール登行する事になって、ヴィニェット小屋に向うことになりラッキーと思った。

しかし、ヴィニェット小屋は遠かった。視界の利かないガスの中の氷河を延々とシール登行をすることになった。

剣沢を二倍にしたくらいの時間を登ったような気がした。みんな、黙々と登っていた。いい加減に登るのもいやになって来た。

やがて、ガスの中にヴィニェット小屋が見えてきた。助かった。と思った。

しかし、標高が3160mのヴィニェット小屋の肩へ立ったら、体を飛ばされそうなほど凄い風が吹き込んでいた。スキーをしっかりと小屋に固定して、城の登り口のようなところを体を低くして小屋へと入って行った。

やっと、ホッとすることが出来た。

小屋は有り難いと思った。

荷物を整理してサロンに行くと、ディス小屋とは違いガランとしていた。部屋の隅に一パーティー(後で、知ったが私達と同じく日本から来た。アースディスクのツァーの人達であった。彼らは天気待ちで連泊していると聞いた。)だけであった。

夕食までは時間があるので、行動食をつまみにして、ビニェット小屋特製のワイン(この小屋はクレジットカードが使うことが出来なくて、みんな,現金の持ち合わせがなくて、ガイドにお金を借りた。ガイド登山様々。)を飲んで暇をつぶしていた。

ここの小屋のトイレも外にあり、風雪に煽られて、細い道にはロープは張っては有るが落ちれば死を覚悟しなければならない絶壁になっている。

ここでsmさんが中で用足しをしてる時、誰かが親切にも外の錠を架けてしまい、出ることができずに、助けを呼んでいた。丁度、私がトイレに来たので直ぐに出てくることが出来た。が、しかし、タイミングが悪ければ、寒い中(便座の穴から冷たい風が舞い上がって来る。)いつ来るか分からない人が来るのを待つことになっていた。)

風雪は一向に止むことはなかった。この日小屋へは、私達とアースデスクの日本人パーティーともう一パーティーだけであった。

夕食時にガイドから明日の行動についての説明があり「天気は明日,明後日とも悪いので、この先、ツェルマットへ進むのは危険なのでアローラの待ちへ降る。」と説明があった。

この天候では、仕方がないがやはり,ショクで有った。

明るいうちにトイレに行って冷たいベットへ。

5月3日(風雪のち雪下は霙)

 風雪は止むことなく続いていた。朝,小屋の出口付近で、突風に煽られて秋田さんが吹き飛ばされた。

みんな(昨日小屋にてアースデスクの日本人パーティーの人達と一緒にアローラの町へ降ってタクシーの相乗りでツェルマットへ向かう話しが出来ていた。)スキーを抱きかかえながら、小屋下のコルに向かった。

コルに着たら、風は止んでいた。ここから,スキーを履いてアローラに向かった。

視界はあまり利かないので、私達のガイドとアースデスクのガイドに守られながら、コースから外れないように慎重に下っていった。新雪の雪であったが、しかし、重たくて回し辛い雪で、みんな,苦労していた。

氷河を半分くらい降りていたら、視界が利くようにはなってきたが、しかし、雪質は悪かった。

ヤット、アローラのスキー場まで降ってくることが出来た。

膝下までの雪はますます重たくて。クッソーと思いながら滑っていると、アースデスクの添乗員の石坂博文さんはその雪の中をウェーデルンでチャチャと滑り降りて行ってしまった。(雪質を選ぶのではなく、技術を磨かなくてはと思った。)

みんな無事にアローラの町に降りることが出来た。

4日間お世話になった。ガイドのベルトランさんとはここで,お別れすることとなった。

ジャンボタクシーに乗り込み。雨降る中をツェルマットへと向った。

私達のオートルートは終わった。

コースタイム

4月29日(行程10時間15分)

シャモニーホテル800(ガイドの車)グラモンテスキー場830/1000アルジャンチエール氷河1040

シャルドネのコル1400シャルドネのコル下降1430エカンディのコル1600シャンペの小屋1815

4月30日(行程9時間40分)

 シャンペ750(タクシー)ベルビエスキー場840/1100 ショウのコル1400モマンのコル1540

 セルベーのコル1640

 プラフリゥーリ小屋1730

5月1日(行程5時間40分)

 プラフリュ‐リ小屋650 ディス小屋1230

5月2日(行程(6時間)

 ディス小屋820 アローラスキー場途中1000 ヴィニエット小屋1420

5月3日(行程4時間30分)

 ヴィニエット小屋830アローラスキー場末1000ツェルマット(タクシー)1300

@。オートルートを終えて。

  資料の調べでは大変厳しそうだと思ったが、いざ、行ってみると初日は、流石に厳しいと思ったが、翌日からは平均して67時間くらいなので楽であった。

 コース的には斜滑降に登りが多く、事前にある程度判っていたがチョと面白みに欠けた。もし、マッターホルンの裾野を滑っていれば、もう少し良い印象が出来たかもしれない。

 ケーブルの待ち時間が有って無駄に感じた。

 ガイド付き登山だったので、ルートファインディーグや交通などのアクセスを考えなくて良かったので、その分でビデオの撮影を全般に渡りすることが出来た。

 当然な事ながらスキーの技術と体力をもっと付けていたら、より充実したと思われる。

仲間の感想。

smさん

 マッターホルンを見る事を出来なく出残念に思えた。滑りとしては面白くなかった。

ykさん

 マッターホルンの裾野を滑ることが出来なかったので心残りであった。機会があればチャレンジしてみたい。

tyさん

 斜滑降ばかりで、Bad Rootや!今回で十分。

akさん

 2回目のオートルートので、後一歩の所で終わってしまったので次回また。チャレンジしてみた。

装備。

・スキー(テレマークは唯一日本人が履いていただけで、長い斜滑降などが有り不利で有った。アルペンでカービングの方が操作性が良いのでは。

  ビンディングはデァミールが多く見られた。

  スキーアイゼンは朝の硬い雪などに良く活躍した。アイゼンは今回、シャルドネのコルで一回使用しただけであった。(雪の状態などに左右されると思われる。)軽いアルミ製が良いので。

 ピッケル。持って行かなかった。(急登を登るだけならストックでカバー出来る。もし,心配ならスチューバー、ブラックダイアモンドのグリップに刃が付くのが軽量化になるのでは。

 バイル、ロープ、アイスハーケンなどの登攀具はガイドが持って行ってくれた。自分達はハーネスとカラビナx2、シュリンゲx2。

ビーコン(スコップ、ゾンデ棒携行はガイドからは言われなかった。)

    服装は日本の春山程度で良い。

  食料は町で買出しを小屋には余りなかった。セコイ手では小屋の食事の際に出る。パンなどを残してザックへ

  水は1.5L有れば良いのでは、(テルモスは持たなくても我慢できそうであった。)

費用。

 航空券+カイド+小屋(48食)+リフト+タクシー(シャベル~ベルビエ)以上をアルパインツァーサービスで手配

合計。30万5千円

その他の費用。

ホテルの宿泊(3泊)+町の飲食

 小屋でアルコール+帰国までの交通費+タクシー(アローラ〜ツェルマット)+?

 合計。約5万5千円

みやげ+国内交通費+タイ+その他。

 合計。約4万円

総合計費用。40万円

(smさんのお陰で全部お任せツァーよりは5万円は安くあげることが出来た。)

 峠2

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